この記事は下手スキーヤーなりの私のスキーに対する想いをひとりごとのように書き記しています。同じ年代の雪の降らない地域に住んでいる方は共感できるところもあると思います。
雪との出会い
私は子供の頃から普段雪の降らない地域に住んでいます。それこそ雪が降って積もるなんてことは何年かに1度のことでした。昔の写真や自分自身の記憶から遡ると子供の頃に雪が積もったのは4歳頃、9歳頃、12歳頃、16歳頃ですね。一番記憶に残っているのは9歳頃ですね。前日から降っていた雪が翌朝には15cm位積もっていてかなり興奮しました。学校から帰ってきてからもビチャビチャの状態の雪がまだ残っていて遊びまくりましたね。何十年も前のことですが鮮明に覚えています。そのころから雪に対する憧れが強くなったように思います。
スキー
高校生くらいになるとバイト代を貯めて友達とバスツアーでスキーへ行くようになりました。有名なのはジパング号ですかね(1回しか乗ったことないですけど)。道具はスキーウェアからスキー板まで全てレンタルでした。まだカービングスキーは無くて真っすぐなスキー板でした。スクールとかに入るわけでもなくただ滅茶苦茶に滑っていましたけど、それでも楽しかったです。それが私のスキーの始まりです。私がスキーを始めた頃はスノーボードが出だした頃でスキーからスノーボードにチェンジしていく人が多かったです。そんな中でも私はしつこくスキーだけをやっていました。
スノーボードブーム
社会人になってからはしばらくの間レンタルでスキーをしていましたが、さすがに自分の道具が欲しくなり某有名スポーツ用品店でスキー道具一式を購入しました。また、バスツアーではなく車で行くことが増えて、行くスキー場も信州からより近場の岐阜県の奥美濃と呼ばれる地域のスキー場が圧倒的に多かったです。その頃になるとスキーよりもスノーボードをする人の方が圧倒的に多くなっていましたね。スキー場に行っても8対2くらいでスノーボードの方が多かったです。スキー場内でもパーク?と呼ばれるエリアができたりしていました。ハーフパイプなんかもありました。小さなスキー場でもそんな感じで今思うと結構かなりブームになっていたように思います。
今では考えられないですが職場で当時の20代位の人は半分以上スノーボードをやっていたんじゃないかと思います。今は職場でスキーやスノーボードの話なんて全然聞かないですし、やっている人、やっていた人がいるのかもわからないです。なんか寂しい感じがしますね。当時は職場でも「どこどこのスキー場はリフト待ちが」とか「あそこのスキー場は雪が降った時は2駆じゃきつい」とかよく話をしたものです。なんか考えただけでも懐かしいですね。
スキーの腕前は下手
スキーの腕前はさすがに初心者、初級者という感じではないですが、滑り方にクセがある感じで上手ではないですね。上手ではないんですが上級者向けのコブコブのコースが好きです。というのも、まだスキーを始めて間もないころ、上級者向けのコブコブのコースを結構なスピードで滑る人の姿を見て「自分もあんな風に滑れたら」という憧れが始まりです。今では、その当時「最低これくらいは滑れたらなぁ」というくらいにはなっていると思います。下手ですが。。
スキーに行く頻度
スキーに行く頻度は一番多い年で年間15回くらいで、20代は冬と言えばスキーみたいな感じで年間10回位は行っていたと思います。最近では行く回数が減ってしまいましたが、それでも年に2回位の頻度で行っています。今では岐阜県でも奥美濃地域のスキー場ではなく飛騨地域のスキー場に行っています。あとは日帰りで近畿北部の近場のスキー場ですかね。
おわりに
好きなスキー場をあげるなら奥伊吹スキー場、めいほうスキー場、おんたけスキー場、Mt.乗鞍スキー場ですかね。おんたけや乗鞍は毎年のように滑れるエリアが縮小されたり、経営危機が伝わってくるのでスキー場としてこれからも存続してくれるのか不安です。まぁ時代の流れで仕方ないのかもしれませんね。ある調査によればスキー・スノーボード人口のピークは1998年で約1800万人、そこから右肩下がりで2020年で約430万人らしいです。ピーク時の4分の1以下ですからね。。何とか頑張ってほしいものです。
私には好きなスキー場の情景があります。16時位の人がまばらなゲレンデ、太陽が西に傾き始めた頃のコースを頂上から見渡し、遠くでゲレンデにかかる音楽とリフトのゲートのピンポーンという音がかすかに聞こえてくる。そして頭の中では松任谷由実のブリザードのイントロ。その状態でゲレンデへ滑り出す。なんか最高です。(すいません)
私自身はこれからもスキーを続けていきたいと考えています。50代、60代になっても滑っていたいですね。
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