「仕事辞めたい」私がキャンプに救われた理由~現実逃避が人生に必要なワケ~

キャンプ

私にとって、キャンプはもはや単なる趣味の域を超えています。それは人生において「なくてはならないもの」であり、生活の一部になってしまっていると言っても過言ではないかもしれません。

なぜ、私はここまでキャンプにどっぷりとはまってしまったのか。ふと立ち止まって考えてみると、そこには現代社会を生きる一人の人間としての、切実な理由が見えてきました。

現実世界(主に仕事)からの逃避

正直、私は仕事が嫌いです。できることなら、今この瞬間にでも辞めてしまいたい。日々、会社という組織の中で揉まれ、理不尽なストレスやイライラを抱え、心身ともに削られる毎日を送っています。

そんな私にとって、キャンプ場は唯一の「聖域」と言える場所です。 街の喧騒を離れ、スマートフォンの通知を気にせず(あるいは圏外に身を置き)、ただ火を眺める。それだけで、溜まりに溜まった心身の疲れが少しずつ解けていくのを感じます。

気付いたことがあるのですが「もし毎日が休みで、いつでもキャンプに行ける自由があったら、これほどまでの感動があるだろうか?」という問いです。

おそらく、答えはNOです。 平日の苦痛や我慢があるからこそ、休日のキャンプがこれほどまでに待ち遠しく感じるのだと思います。

今では「キャンプでの多幸感を高めるためのに仕事をしているのではないか」と感じる程です。まぁ、そう考えると少しだけ明日からの仕事が耐えられるような気がします。

非日常がもたらす「生きている」実感

キャンプ場では、日常の「当たり前」がすべて崩れ去ります。 スイッチ一つでお湯が出ることも、厚い壁に守られて眠ることもありません。そこにあるのは、薄い布(テント)一枚で隔てられた自然との境界線です。

特に私が好きなのは、高規格なキャンプ場よりも、最低限の設備しかない「無料キャンプ場」や、公共交通機関を駆使した「徒歩キャンプ」です。

バックパック一つに必要な道具を詰め込み、自分の足で現地へ向かう。 誰の助けも借りず、限られた道具を駆使して火を起こし、寝床を整え、料理を作る。 この一連のプロセスを完遂したとき、「自分はどこでも生きていける」という、野性的な自信が湧いてきます。

便利すぎる現代社会では、私たちは「生かされている」感覚が強いです。しかしキャンプ(あるいは野営)の場では、主体的に「生きている」ことを実感できます。この感じこそが、私をキャンプへ駆り立てる大きな原動力となっています。

子供時代の記憶

私は昭和の生まれです。 あの頃、子供たちは日が暮れるまで外を走り回り、ケガをしたりしながら泥だらけになって遊んでいました。今のようにルールやコンプライアンスでがんじがらめな世の中ではなく、大人の目もどこか寛容だった時代です。

当時の私の楽しみといえば、「秘密基地づくり」や「火遊び」でした。 段ボールや廃材を集めて自分だけの居場所を作り、あのワクワク感、ドキドキするような解放感は今でも覚えています。

キャンプ場に足を踏み入れると、あの頃の記憶が鮮明に蘇ります。 テントを張るのは大人版の秘密基地づくりであり、焚き火を囲むのはかつての火遊びの延長線上にあるのではないかと思っています。

時代は移り変わり、世の中は窮屈になりましたが、キャンプ場に行けばいつでもあの「自由だった昭和の子供時代」の記憶がよみがえってきます。

oppo_0

道具への執着

キャンプに魅了されると同時に、私は「道具(ギア)」にも魅了されています。 テント、タープ、椅子、コット、そして無数のシェラカップ……。気づけば家の中はキャンプ道具で溢れ、収納スペースは限界突破しています。

次に新しい道具を買うなら、今ある道具と入れ替えなければいけません。 「自分にとって、本当に必要なもキャンプ道具は何か?」 そう問いかけながら道具を選んでいます。

最後に

仕事からの逃避、生きている実感、子供時代の郷愁、そして愛すべき道具たち。 これらが複雑に絡み合い、私の「キャンプ」は形作られています。

私の中でキャンプは単なるレジャーではありません。 それは、疲弊した心を修復し、自分自身を取り戻すための、人生において欠かせない時間になっています。

コメント